空の間(からのあいだ)と書いて、空間と読む。

空間というのは「空っぽの間(あいだ)」と書きますが、

今回は、「からっぽの間(間)」があるからこそ、何かを埋め尽くすことができ、

ものや自分や人が「居ること」ができるのかも知れない。

と気づいた話を書いてみます。

 

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とても雰囲気の居場所を見つけました(^^)

 

 

隙間や、抜け道や、隠れ家の様な場所があるからこそ、

そして、ここの全ての「間(ま・お城の〇〇の間。みたいなニュアンスです)」があるからこそ、そこに私は「居られる」そう言う事なのかな。と思いました。

 

 

 

「からっぽの世界」と言う歌があったのをふと思い出しました。

 

もしかしたら、どこかで聞いたことがあったかもしれない。

でも、よく思い出せないんです。

 

題名だけ。覚えています。

 

 

 

「からっぽ」については、僕も歌にしたことがあります。

 

「呼吸」という言葉の意味について知った後、頭で考えて作った歌です。

 

吐く「呼」が先にあるから、

吸うことが出来る。

 

だから、呼吸という感じの頭に「呼」がつく。

 

 

 

からっぽというのは「空いている」場所。

 

空間。そのものですね。

 

 

 

 

ポケットの中にはビスケットがひとつ。

という歌があります。

 

「ポケットの中にはビスケットがひとつ。

叩いたなら二つ。

もうひとつ叩くとビスケットは四つ。

叩いてみるたびビスケットは増える。」

 

 

一口。食べるビスケットすら、

味わいを感じる分には、大きさじゃなくて、

その「感動の数」なんだな。と思いました。

 

 

 

大きな塊だと嬉しいけど、でも

小さな破片でもいいものだよね。

 

そこにこそ、

ささやかな幸せがあるよね。

 

と、微笑んでもらっているかの様です。

 

 

 

空間は、からっぽ。

からっぽの世界。

 

 

歌詞はわからないけど、

 

ここにいられるのも、

 

「空間の神様」が、

この場を用意してくれているからでしょうか?