傷ついた価値観を埋め合わせていこう

価値観が傷つく時、人は怒りだすようだ。と

気づく節がありました。

 

傷ついた部分に、どんな対応をすると良いのでしょうか?

 

怒りやすさでそれを回復できる人もいます。

また、対話の流れを寸断してしまう人もいるかも知れません。

 

 

 

以前、TEDと言う講演動画を見ていたなら、

「勇気づけ」にまつわるスピーチを演説しているのを

見る事が出来ました。

 

 

 

傷ついたなら、自分”が”自分の凹凸を埋めていかなければならない。

 

 

言葉の掛け方のコツを語っていたのです。

 

 

以前、ある場所に赴いた時、こんな事を言われました。

 

「〇〇だなあって、亀井さんを見ていて思います」

 

 

個人的に受け取らないでください。”ある人格タイプ”への主観だと。

そう言う注釈がありつつも、叫び出しそうなほど激昂しそうになりました。

 

 

それからしばらく、そう言った課題が山のようにやってきます。

 

 

すると、ある日出会った本の中でこう書いてありました。

 

「皮膚一枚内側が、楽園であるならば、大切な価値観の完全性を奪われても、あまり気にならない」

 

 

 

結局は、不快だ。苦しい。辛い。痛い。

 

そう思うからこそ、

そんな自分を守ってあげたいからこそ、

人は激昂してまで、それを伝えようとするのかも知れません。

 

 

自分への勇気付け。

そんな時、どう思いますか?

 

 

凸凹の凹の部分。

 

元々、知ってるよ。

だからこそ、頑張ってきたのに。。。

 

がっかりだし、

悲しいし、

しかも、悔しいし。。。

 

 

 

もしかしたら、人それぞれ違うのかも知れませんが、

凹んでいる部分はそのままに、

余計につまり、いらないのに傷つかざるを得ないように

誘導されてしまったその部分は、

 

 

言葉自体は、結構、変幻自在に、埋め合わせられるものなのかも知れません。

 

 

 

自分の中だけで自己完結出来ると、

なんだか、これからも大丈夫かも!

って、勇気出ますよね(^^)

 

 

人に伝えなければならない事もある。

そんな時も、

過剰に自己イメージを拡大しなくても済むような感じもします。

 

立ち位置を守って。

でも、自分の内面も守って。

 

 

バランス感覚の軸が、自分なりに取れるようになった自分を褒めてあげたいな。

と思う事があります。

 

 

みんなが、みんな。

凸凹を補い合いながら、自分の”分”をキープして、

世界が回り続けてくれたなら、

とても嬉しい世界になりそうですね。

 


でこぼこ/植村花菜

 

 

とても可愛らしい女性の方が歌ってくれているので、

何故か深い信ぴょう性を感じてしまう歌です。

 

きっと、こんな風に。

足りまくっている部分がある人にも、

凸凹があり、

それを補い合える人たちと共にいるからこそ。

そして、

居よう。と決めたからこその、

愛溢れる歌詞なのかも知れない。

 

、、、で、

実は、もう。

みんなでそうやって共生できている部分もあるのかも知れませんね(^^)

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。