多様性を認めるアイデア

人それぞれ、何かを目に映した時の思いって違いますよね。

 

ある人は、こんなに軽く捉えていたり、

またある人は、すごく深刻に捉えていたり、、、。

 

 

世界中が、切り離せない様なくらいに

みっしりと。

 

様々な色合いで埋め尽くされて居るのを感じることがあります。

 

勿論、自分の「我」があるので、その「他人の個性」のために、面白くないことも起きますから、

それも「個性の色だよね」とは到底思えない時もあります。

 

でも、私の場合は、なんだかその特異性が面白くて、笑っちゃったりして、

失礼極まりないけど、それで終わり。

と、なる時もあります。

 

 

個性を一つの印象画に例える考え方を聞きました。

 

どうしても自分に重ねたくない色合いもあるけれど、

でもそれは、自分がどうしても見たくなかった側面でもあったりするのかもしれない。

と気づきます。

 

「我」では受け入れられなくても、

もっと深いところでは全く一緒の自分「も」居る。

 

そんなことを、普段人と話をするときなどに感じたりします。

 

話せないぐらい隔たりのある人というのは、

イラつくこともありますが、

「自分のペース、守ってもいいんだよ」

と、生きながらに伝えてくれて居るのかもしれない。

と、思うこともあります。

 

 

そんな風に、たまにショッキングピンクみたいな色も画面に載せられているのを感じると、

すごい魅力だなあ。と図らずも感じてしまう自分もいますから、

これも「個性」なんだろうな。と、看過していく様に意識がフェードアウトして行きます。

 

 

 

多様性を認める。と言う時、

一番度外視しているのは、「自分自身」の個性に対する目線であったりする。

なんてことも、人によってはあるのかもしれません。

 

 

自分に不得手な部分があるのを見ると、

なんだか認めたくないけれど、

 

「そんな自分もいいよね」

 

と、見つめられたら、とても楽ですよね。

 

 

 

多様性は、森の中で木々や鳥の声を聞く様に、

自然に認めて見たいものだな。と思います。

 

あまりにも自分と違うものを怖がりすぎてしまう。

それが、人間というものなのかもしれません。

 

 

もっと、リラックスして。

 

自分らしく、花開く事が出来たなら、

とても、フラストレーションの少ない自分でいられそうです。

 

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夕景の太陽