生きていてくれよ。
自分はダメな奴だ、、、
そう思うとき、人は、どんな対処をして行くのでしょうか。。。。
身近な人たちを見ていても、
自分を見ていても、その経路を独特な道のりを歩む事になります。
私が一番厄介だな。と思ったのは、
「マウンティング」と言う姿勢をあらわにした適応の仕方でした。
「マウンティング」とは、
ちょっと下世話な話ですが、
ある記述によると、
「男が上に乗り、女が下」
と言う、体位の話も含まれているとのことでした。
で、、、
何が言いたいかと言うと、この「マウンティング」。
割と、無意識にやってしまっています。
深刻な傷を背負っている人ほど、
その傾向は強まるような気もしていました。
僕はよく、そうとわかるような態度を取っている人を見ると、
背中から、「愛」と言う文字(ぐらいしかできないんですが、申し訳ない)を、イメージして、ぺたりとシートのように貼り付けて、心臓に染み込んで行くようなイメージをして見る事があります。
ロングスパンでどんな結果が露われるのかは、見た事がないんですが、
せめてもの餞別と思って。通りすがり、投げかけておくようにしています。
これ、、、
あるブログに書いてあった方法なんですが、
実は、割と。
こう言う「ノウハウ」と言うの、みんな結構持ってたりします。
神社に行って、一礼二拍手三拝なども、一つの「ノウハウ」です。
儀式ですし、すごい格調高く、荘厳な世界への扉ですが、
「HOW=どうすればいいのか?をKNOW=知る」
KNOW HOWと、考えて見ると、これもやはり、
先人が見つけた「業(わざ=work)」だと思います。
愛をぺたり?何言ってんの!?
と、実は僕も腹のなかでは思っていました。
でも、投げかけて「おくと」。
自分的に決まった感があるんですね。
人間。頼るものがあったほうが、元気でいられる。という事実なのかも知れません。
マウンティング。嫌いだと言いつつ、
この「愛のぺたり」も含め、
「自分が好位置にいる」という事が大事なんだよ。と、内面から伝えられているかのようでもあります。
好位置さんというキーボーディストさんいましたよね^^
マウンティング、辞めるためにはどうすればいいのでしょうか?
やっぱり、自分は特別じゃない。と思うことでもないような気がします。
何故ならば、特別じゃない。平凡。決め込めば決め込むほど、
自分の居場所という非凡へと入り込んで行ってしまうからです。
ところで、僕を見てどう思う人がいるのでしょうか?
人それぞれですよね。
でも、例えば、、、
ジーンズの後ろから、茶色づいたトイレットペーパーがぶら下がっていたなら、
そういう印象。を、
万人に特有の理想の形を持って、ジャッジしてしまったりするものかも知れません。
実は、その人なりに、
思い通りにならない現実に対して、
何らかの対処をして、心を中心軸に戻そうとするものなのかも知れません。
汚いものは汚い。
そう思うしかない。
愛せないものは、やはり愛せない。
無理すると辛い。
でも、
「そんな僕でも」
「そんなあなたでも」
生きてていい。生きてていいですか?何言ってんだよ。
生きていてくれよーーーーーー!
そんな涙の訴えが思い出されます。