ひとつひとつ〜乗り越えていこう。

以前、大好きな陶板画家の方のブログ投稿を見ていました。

 

 

内容とは、、、

 

ある日、車を走らせていると、体当たりしてくる車がいました。

事故です。

 

停車してドアから飛び出して来たのは

「俺は前科者なんだ!」などと、凄む若者でした。

 

(昔だったら、飛び出して一発ガツンとやってやるところですが、、、、と言う

一文も書いて有りました。)

 

すぐに、その車の母体の会社の社長がやって来ます。

 

「すみません!こいつは、クビにしますから!」

 

即答しました。

 

「社員を育てるのがあなたの役目では有りませんか?

もしもクビにしてしまうようであれば、もっと大事(おおごと)にしますよ。」

 

 

その言葉を聞いた若者は、その場で泣き崩れたそうです。

 

 

 

 

本当の「愛情ある心の姿勢」とは何なのか???

深く考えるきっかけになりました。

 

 

 

悪いことをすれば叱られます。

しかし、ただ、感情を晴らすため”だけ”だと、思えるでしょうか?

 

 

もしかしたならば、もっと深いものがそこにあるのかも知れません。

 

 

 

「力無き愛は無力なり。

愛なき力もまた、無力なり。」

 

 

 

その配送業者の若者は、人生を変える様なメッセージを受け取ってしまったのかも知れません。

 

 

「きちんと、見ている人は見ているよ」

 

 

 

頑張った。よく頑張った。

ここで一旦。小休止。

もっと、世界をまっすぐに見て見なさい。と。。。

 

 

 

 

 

 

自分を労うのは、誰よりも先に自分なのかも知れません。

また、もしも、自分を労い続け、

その先に見た、疲れただれかを労う。

それを続けた人は、疲れて見える段階で、

労われるかも知れません。

 

 

 

 

昔「義理人情」と言う言葉が嫌いでした。

 

「義理」の人情だから。

 

それがロジックでした。

 

 

でも、違う。

 

 

人情であることには変わりない。

そこに、個人の正義感が介在しても、

人情の部分をずーっと見てると、見えてくるものがあります。

 

それを受け取る瞬間には、最もギャップのある、

愛情の収受が起きうるのかも知れません。

 

 

 

 

と、、、

無い物ねだりの私は、そんな愛情の形を夢見る事が有ります。

 

でも、

 

 

体として生まれ、

今、PCをいじれている事実がある以上。

 

誰かに、そして様々なものに、

支えられて、ここにいられている事実があります。

 

 

それを感じた時、

大声で泣きたくなることもあります。

 

 

 

 

あまりにも嬉しいからです。

 

 

 

 

でも、色々不思議な事が起こる人生です。以下の歌に勇気付けられる自分がいます。

 


ひとつひとつ(live/歌詞付き)