産まれた後のコト

愛情が欲しい。と伝えていながら、

言葉尻では全く違うものを伝えていたりする。と言う事に気づいた事がありました。

 

「なんで、こんなに自分の本音と違うことを呟くのだろう?」

 

その時、「情が移る」と言う言葉を思い出します。

 

産まれてきた後、積み重ねたものがその人を狂わせるのではなく、

 

そもそもの「方向性」が、そこに存在しているのだろう。

と思う節もありますが、

 

「情が移る」とは、

「情けが相手の中に入っていく」と言うことでもあり、

「情けの中に相手が入ってくる」と言うことでもあると気づきます。

 

その時、

荒唐無稽な何か。これを想定するよりも、

よほど、

 

真実に近い事がわかるような気がします。

 

時に、霊に憑かれたとか、

エクソシストのような世界観は語られます。

 

そう言う可能性もあるのかも知れません。

 

しかし、私の可能性の中には存在していない。

 

敢えて言うならば、

まだ生きている人たちの、

「自分にとっては余計なしがらみ」

 

これこそが、体の詰まりとなって存在しているような気がしてきます。

 

 

亡くなった人たちは、本当はどうかはわかりませんが、

臨死体験」を例にとるならば、

 

「とても気持ちの良い世界にいるはずです。」

 

 

想定は設定であり、

設定とは、小説の筋書きのようなものです。

 

ならば、

自らが小説のライターとなり、ディレクターとなりましょう。

 

 

”私は永遠に幸せです”

 

そう呟いて、今日も朝が始まります。

その意識のまま、鼓舞し続ける事により、

 

漸く、”自分”が成立するのです。

 

story-tellerとは私自身なのです。

 

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産まれる前。