ケーデンス(終止形)
矛盾を矛盾のままにしておくと、
「違和感」が生じ始め、
見て見ぬ振りを重ねていくたびに、どんどんと負の種は増えて行きます。
嫌いなら嫌い。それでいいんだと思います。
しかし、嫌いと思っていても、
実は好きだったと言うこともあるのかも知れません。
なんなら、嫌いと思って、「求め続ける」よりも、
視界の外に置いてしまうぐらいに処置してもいいのかも知れない。
人は、「わざわざつまらないこと」を選ぼうとする癖があります。
「わざわざ」と言うのが、憎いところ(負の意味で)なのですが、
それはひいては、
「好きと思っていたことが、実は嫌いだった」
という事と連携しているのかも知れないと思います。
大好きと言う言葉に弱さを感じても、
誰にでも伝えていいのかも知れません。
根拠のないプライドを持ち続ける人を見て違和感を感じるように、
この「私(self)」もまた、
変なプライドは捨てた方が身軽になれるかも知れない。
面白いことを選ぶと言うことは、
ひいてはレールから外れることです。
運よく、不運に成れた(慣れた)人は、
捨てるべきプライドがないと言う意味で、
めちゃめちゃ高いポテンシャルを持っているのかも知れません。
なので、私は今日も。
運が悪い(と思い込んでいる)人を
心の底では応援し続けています。