自由表現〜

手放しに関する投稿を続けていました。

 

いつか、あるヨガの流派のアメリカ版が和訳されたものを購入して読んでいたとき、とても印象的だった言葉があります。

 

「目を瞑って、聞こえてくるもの、肌に触るもの、世界に想定する全て、そして私自身。

全てという全てを『変えたり、コントロールしようと』しなくて良い。」

 

 

また、ティクナット・ハン師のbotを見ていたところ、見つけたのが、

「坐るときは、『何もしないことを選ぶこと』をする時間」

 

と言う文言でした。

 

何も変えなくて良い。と言うのはとても嬉しい話だな。とふと思います。

 

ある人がこんな境地に辿り着いた。と言う話も聞きました。

 

「必要とするもの。喜びに基づくもの以外の全てを、防水スプレーをかけた傘のように、

水玉を弾くみたいにするんと弾いてしまう」

 

 

 

やはり、要らないものは要らない。

また、特別サービスで、良いと思わないものにまで

「良いよね。」「そうだよね」

が口癖だった事に気付いた時、

 

 

ああ、全然誠意がなかったな。と気づきました。

 

関係を繋ぐため。であったとしても。

それは「相互依存」の関係ではないと思いました。

 

共依存という言葉は嫌いなので使いませんが、

それに近い雰囲気を感じます。

 

 

感覚はすでにそこにあるのです。

 

 

「気持ち悪い」

「美味しくない」

「薄気味悪い」

「楽しくない・ちょっと時間を過ごすにはきつい」

 

悪い言葉ですし、使わない方がいいでしょう。でも、

ある人は、

 

「そう言う言葉が心に木霊しているのを無視して認めない方が問題」とまでいっていました。

 

 

私は、少なくともこころの中のレベルでは、変に検閲をつけない方がうまく行くような気がしています。

(人それぞれ全く違うと思います。)

 

 

出し切った先に、calmはやってくる。そう思います。

 

 

 

ちょうどいいタイミングでちょうどいい事がたくさん起こる1日です。

 

願っていた心境が手に入った感がとても強い。

 

 

フル回転はもうまっぴらです。

 

歌を歌う時もまた、喉の筋肉をほぐす事によってスルスルと声が出ます。

 

何も、つっかえるものがない心境で、全てを行えたなら、とても嬉しいはずです。

 

自由に表現ができるわけですから。

 

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仙台の菅田かおりさんがボーカルを務めるバンドの写真です。スルスル声が出ていました(^^)